Exit Next ひろ さちや氏の  般若心経入門
わかりやすい、人生の見方が変わる、気持ちが楽になる、ひろ さちや氏の「心経」の読み方



いま『般若心経』は、日本のビジネスマンにとっての必読経典 組織の枠を飛び出し、自分の物差しで生きろ

● ひろ さちや氏 1936年生まれ
『「般若心経」生き方のヒント』
『仏教とキリスト教』など著書多数
「般若心経」生き方のヒント \1430

世間と自分を比べてしまえば、
際限なく膨らむ「欲」に振り回されるだけだ。
そんなしんどい生き方はやめて、
本当の「自由」と「余裕」を獲得するには・・・・・
人からの 毀誉褒貶 を気にせずに生きる「原理」を教えてくれる

「きみはユニークな人物だね」上司から言われたその一言で、ノイローゼになった ビジネスマンがいます。彼は、自分が褒められたのか貶されたのか、わからなくな ったのです。”ユニーク”を辞書で引くと、
<同じようなものがほかにあまり見られぬさま。独特なさま> (『大辞林』)
とあります。

しかし、そう確かめたところで、褒められたのか貶されたのか、 さっぱりわかりません。
あれこれ考えているうちに、ついに神経症になってしまったのです。 なんだか笑い話みたい。 けれども、あなたはこれを笑って済ますことができますか・・・?

そういえば、恋人に、「あなたって、おめでたい入ね」 と言われて、 喧嘩別れをした者がいます。
わたしなんかだと、そう言われると、むしろ喜んじゃうほうなんですが・・・・。
でも、”おめでたい”といった言葉は、どこかに軽蔑を含んでいますね。 ビジネスマン、サラリーマンという人種は、 人からの、


毀・誉・褒・貶 (き よ ほう へん)

がやけに気になる人たちなんです。
そんなもの、なにも気にする必要はないではないか、と言うのは簡単です。
けれども、農業をやっているのであればともかく、 ビジネスマンはそれを気にせざるを得ない存在なんです。 ビジネスマンでありながら他人の評価を気にしないでいられる人は、よほど、 神経が太いか鈍感か、あるいは無神経なんでしょう。したがって、気になるものを、

「気にするな!」 と言ったって、

解決になりません。水に溺れている人間に、「溺れるな!」と言うようなものです。 気になるから気にしているのですよ。 では、どうすればよいでしょうか・・・・・・?

じつは『般若心経』がそこのところを教えてくれています。もっとも、『般若心経』は、具体的な方法を教えてくれているわけではありません。 どうすれば溺れないでいられるかを教えてくれるのではなく、 人間というものはもともと水に浮くものだ、
だから溺れないで済むのだ、といっだ原理的・理論的なことを 教えてくれているのです。
その「原理」がわかれば、わたしたちはそれを実生活に「応用」できるはずです。 そういう意味で、『般若心経』はわれわれにとって役に立つお経です。
わたしたちは『般若心経』に生き方を学んでみましょう。

さて、『般若心経』が言っていることは、
すべてが「空」だ

というこどです。これがわかれば、『般若心経』は卒業です。
でも、「空」とは何か? これがむずかしいんです。
わたしは、「空」とは、

ものには物差しがついていない

ということだと解説しています。
ここに一千万円の金がある。わたしなんかだと、すごい「大金」だと思いますが、 大金持ちだと 「端金(はしたがね)」と見るでしょう。
一千万円というお金に「大金」「端金」といった物差しが ついているわけではありません。それを見る人間が物差しを持っているのです。 つまり、「空」なるものを、 われわれが「大金」にし「端金」にしているのです。


すべてのものは「空」だ 色即是空 空即是色

「幽霊の正体見たり枯れ尾花」と言います。びくびくした心で見ると幽霊に見えます。しかし、強い心だと、 それは枯れ尾花です。もっとも、”枯れ尾花”だなんて、そんな酒落た名前を知らない人には、 それは枯れた雑草でしかありません。ものは「空」なんです。それをわたしたちがいろいろに見ているのです。 これが『般若心経』が言っていることです。すなわち、『般若心経』は

<色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 しきふいくう くうふいしき しきそくぜくう くうそくぜしき>

[色は空に異ならず、空は色に異ならず、色はすなわち空、空はすなわち色]
と述べています。この場合、”色”は「もの」といった意味だと思ってください。

  ものは「空」だ

いうのが、『般若心経』の根本主張なんです。要するに、ものには物差しがついていないのです。
だから、

 <不生不滅。不垢不浄。不増不減  ふしよう ふめつ ふく ふじよう ふぞうふげん>
  [生滅せず、きれいも汚いもなく、増えもせず減りもせず]

なんです。急須の中のお茶の葉を流しに捨てたとたん、それはゴミになり汚く見えますが、 実際には汚くなんかありません。ただ、流しにあるというだけで、わたしたちが勝手に それをゴミにしているんです。お茶の葉そのものは「空」であり、不垢不浄です。
すべてが「空」だ 。それが『般若心経』の根本原理です。いや、仏教の根本原理です。 まずそのことを、しっかりと認識してください。
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